雲形の三角定規 (2012/05/16) ゆずはら としゆき 商品詳細を見る |
ふと、『雲形の三角定規』の後日談のネタを考えていました。
連載当時、ハッピーエンドにしてくれませんか、という話があったので、主人公二人はハッピーエンドにする代わりに、彼らに与えていた視点や善なる立ち位置を剥奪する。
これだけで上手く話が回るのです。
あの物語の流れでハッピーエンドというのは、くだらないシステムに組み込まれる、ということですので。
あと、最後に未来予測として入れておいたネタが、それ以上にひどい現実になってしまったので、そのあたりのフォローを。
ま、書く機会はたぶんないですが。
咎人の星 (ハヤカワ文庫JA) (2013/01/25) ゆずはらとしゆき 商品詳細を見る |
『雲形の三角定規』と『咎人の星』で現代劇を書いたのですが、結局、現代劇を書くと、主人公たちがくだらないシステムに組み込まれることを拒絶してしまうので、どうやってもハッピーエンドにはならないのです。
くだらないシステムの現場に、何度も居合わせてしまったことにうんざりしたので、与太話としての小説を書いているはずなんですが。
結果として、昨年あたりから『空想東京百景』シリーズしか書かないひとになっています。
主人公たちがくだらないシステムに組み込まれることを拒絶し、孤独になっていく話は、書いている方も辛いし、そんな人生は作者だけで十分だろうと。
だったら、都市生活者の矜持を保つことを許される、絵空事の世界を書く方が、キャラクターたちにとっても幸せだろうと。
空想東京百景 (講談社BOX) (2008/05/08) ゆずはら としゆき 商品詳細を見る |
小説家の仕事をはじめた時に、書こうと思っていた、いくつかのテーマのうち、『夢の砦』のような青春小説は『雲形の三角定規』になりました。
『妖星伝』のような伝奇SF、あるいは『チャンピオンたちの朝食』のような寓話は『咎人の星』になりました。
それ以外のテーマはだいたい『空想東京百景』シリーズで書いています。
初期衝動で書きたいと思っていたテーマは、だいたい書けました。
残りの人生で何を書くか。
このまま『空想東京百景』シリーズだけでも別にいいんですが、ありったけの想像力をすべて詰め込んでいるので。
シリーズ開始から12年かかって、やっと二冊目が出るか、という超スローペースになっておりまして。
長篇『空想東京百景〈V2〉殺し屋たちの休暇』の次は、中篇と短篇メインになりますので、年1冊くらいのペースになると思いますが。
なので、『百景』以外で何を書けるか、ということを、ぼんやり考えております。
冒頭の後日談とかではなく、もっとゆるくてテーマのない小説がいいんじゃないか、とは思っているのですが。
十年前にも、そう思っていましたが。
死ぬまでにそういう小説を書くことは、あるんだろうか。
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本を作ることは、小説を書くことと同じくらい好きです。
なので、「パノラマ観光公社」と名乗って、企画編集の仕事もやっています。
きっかけは2009年の夏に倒れまして。
それから半年くらい、小説を書こうとすると、テキストが無限ループする晩年の武者小路実篤状態になってしまったからなんですが。
まァ、倒れた原因はハードワークで脳に高負荷がかかっていたからで。
2009年夏に『空想東京百景〈V2〉殺し屋たちの休暇』連載中断、2010年夏に『雲形の三角定規』連載開始なので、その間の出来事です。
それで作った『姉さんゴーホーム』以降、ちらほらと企画編集の仕事に携わっています。
姉さんゴーホーム (KCデラックス) (2009/12/22) 石田 敦子 商品詳細を見る |
気がついたら、〈日日日×千葉サドル〉シリーズを4作目まで作っていたり。
ComicREXで『空想東京百景〈異聞〉』と『平安残酷物語』漫画版が始まったり。
『空想東京百景』シリーズは、たまにしか書いてない小説と比べれば、わりと途切れることなく続いています。
たぶん、2016年までは、年3冊くらい作っていくことになりそうです。自分自身の単行本以外に。
……ということは、あと9冊くらいは作ることになります。
それ以降はよく分からないですが、それまでは生きていると思います。たぶん。
ほとんど趣味でやっている仕事なので、都市生活者の矜持を守れなくなったら、さっくり辞めてしまうような気もしますが。
嫌いな本は作りたくないので。
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録音しておいた、NHK-FMの『くるり電波』で、『ばらの花』の作曲解説をしていました。
改めて発売日を見ると2001年1月24日になっていました。
この曲を教えてくれた友人は2月14日に亡くなっているので、20日間の何処で教えてもらったんだろう。
そして、13年も経ってしまった。
ばらの花 (2001/01/24) くるり 商品詳細を見る |
『ばらの花』を聴くたびに思い出すのに、時間にまつわることは忘れているのです。
他のことも少しずつ輪郭がぼやけているのです。
しかし、それは当然のことです。半分くらいは忘却しなければ、いつまでも燻ったままなのですから。
友人の死で、ぼくの仕事は終わったと認識したわけですが、それを完全に認めたのは、『雲形の三角定規』を書き上げた時でした。
それまでの仕事が終わったので、本格的に小説を書き始めたのですが、ああ、もう生きていてもしょうがないな、と思えるようになるまでには、十年以上かかったのです。
ずいぶん昔ですが、何故か、当時の担当さんに詳しく書くことを勧められたこともありました。
たぶん、友人が生前に手がけていた仕事を何処かで伝え聞いたのでしょう。格好よかったからね。
でも、死者を神輿にするのは都市生活者の矜持が許さないのです。
だから、忘れなかった残りの半分も、すべて、墓の下まで持っていくでしょう。
それまでの人生で何を書くか。残りの人生で何を書くか。
それまでの人生で何を作るか。残りの人生で何を作るか。
ま、エイプリルフールなので、真偽すら怪しい暗号的な与太話です。