ゆずはら置き場/パノラマ観光公社

作家・ゆずはらとしゆきのお仕事報告ブログです。

20年前の夜明け前のゆずはらさん(1月)

サイトのほうの「ゆずはら置き場」開設日を見ると、今年の11月でデビュー20周年らしいんですよ。
そういえば、最初はジオシティーズに置いていたんだよなー。
HTMLも教本見ながら手打ちしていたなー。

www.ll.em-net.ne.jp

……というわけで、20年前のゆずはらとしゆきはいったい何をやっていたのか、少しだけ振り返ることにいたします。

 

サイトを作ったのは11月ですが、1999年は勤めていた会社を辞めて、再就職のあてもなかったので、ライターや編集手伝いのアルバイトをちまちまやっておりました。

そして、マンガ原作やシナリオライターの代打仕事がいくつか入ったところで、中小の広告代理店へ就職した後輩のライターが、傘下の出版社で小説のレーベルを立ち上げて「員数合わせで小説を書け」と言ってきたのですね。
そのままなし崩し的にデビューとなったので、名刺代わりにホームページも作ることになった、というのが正直なところです。

しかし、それまで小説を書いたことがなかった(!)ので、友人たちに協力してもらって、見よう見まねで書いたら、激怒した後輩が新人賞募集で「悪い例」として晒し上げるわ、そのジャンルのインテリなマニア(?)は京都あたりの国立大学のサーバーに批判サイトみたいなのを作るわ、同じレーベルの作家さんはセカイ系なる謎フレーズで叩いてくるわ*1……と散々な目に遭ったのですね。

というか、そもそものオーダーが「『スレイヤーズ!』のエロ同人誌みたいな感じで」といういい加減なものだったんですが、ぼくはスレイヤーズ!』が出てきた時点で一度、ライトノベルを読むのを止めていたのです。
受験とか就職とかいろいろあったので、数年の空白期間があったのですね。

それ以前の、角川スニーカー文庫創刊前夜のカドカワノベルスのファンタジーフェアや、ドラゴンマガジン創刊の頃は浴びるほど読んでいたんですけどね。
リアル中二病の時代だったんで。

パソコン通信とかIRCチャットとかICQとかで、同世代のイラストレーターやシナリオライターと交流があったので、一世代前のイラストレーターが多かったライトノベルを読む意欲がなくなってしまった、というのもあります。

そのくせ、ゲームはコンシューマーからアーケードからえろげーまで、めっさやっていて、同人誌まで作っていたんですけどね。

それで、たまたま「ゲームっぽい小説があるぞー」と聞いて手に取ったのがブラックロッド』シリーズで、すぐにブギーポップは笑わないが出たので、それでまたライトノベルに戻ってきたのです。

同世代で交流のあったイラストレーターも電撃文庫では次々と登用されていて、ダブルブリッド』1巻が出たときは、イラストレーションの潮目が変わったなー、と思ったものです。

ブラックロッド (電撃文庫)

ブラックロッド (電撃文庫)

 
ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

 
ダブルブリッド (電撃文庫)

ダブルブリッド (電撃文庫)

 

で、デビュー作に戻ると、富士見ファンタジア全盛期ガチ世代で反知性主義の後輩と、そのへんまったく読んでいなくて電撃文庫講談社ノベルス大好きっ子になっていた中二病の先輩では話が合うわけがないのですね。
まー、講談社ノベルスと言っても、ほとんど舞城王太郎佐藤友哉西尾維新の三人だけで、これが回り回って、後にファウストで書く原因になるのですが。
文学フリマでうっかりタンデムローターの方法論というコピー誌を買ってしまったせいで。

 

なので、その後もマンガ原作は書いていたんですが、小説はたまに習作を同人誌で書くくらいで、商業で小説を書くことはもうないだろーなー、と思っていたわけです。
あんなひどい目はうんざりだと。再就職もしたし。

再び書くようになったのは、とあるゲーム雑誌の姉妹誌で『ペンデルトーンズ』というマンガ原作の連載企画が通って、その打ち合わせに行ったら、ゲーム誌のほうの編集長から、いきなりポートフォリオを渡されて「このイラストレーターで連載企画を考えろ」と無茶振りを喰らったのですね。

このポートフォリオは、当時、会社を辞めてイラストレーターデビュー前だったtoi8さんの持ち込みだったんですが、言うまでもなく無茶苦茶上手いイラストをどう使うかを考えて、当時、趣味で書いていた昭和30年代版『ブラックロッドみたいな、荒唐無稽なオカルトパンクもののプロットと組み合わせて生まれたのが、『空想東京百景』シリーズの発端でした。

ポートフォリオも、後にtoi8さんがぼくのコメント付きで『虚空のリング』シリーズの同人誌にまとめておりますので、知っているひとは知っていると思いますが、後の小鳩〈01〉になるキャラクターは既に描かれていました。

「会社勤めをやりながら、どうやって月2本連載するんだ?」とは思ったんですけど、結局、絵が抜群に上手かったので、なんとなく引き受けてしまいました。

小説のデビュー作とほとんど同時期に書いていた、『妖幻天女』というえろげーのシナリオがあるんですが、これも前任者が逃げてしまったことで、急遽、代打の無茶振りが来てムラオミノルさんの絵が素晴らしかった」という理由で引き受けてしまったので、「こいつは上手いイラストに弱い」と思われていたのかも知れません。


妖幻天女 OP

なので、以前からお世話になっていたデザイナーのヨーヨーラランデーズさんと相談して、絵コンテというか、映画のフィルム風の枠デザインにイラストと小説が交互に入るイラストーリーとして、最初の『空想東京百景』が始まりました。

「普通の小説家は、イラストレーターが先にありきなプロットの作り方はしない」と後で知ったのですが、元がマンガ原作者ですから、イラストレーターの作風から企画を考えるのは苦じゃないというか、むしろ得意なのです。

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結局、連載5回ほどで雑誌が休刊して、2本の連載は両方とも中断してしまうんですが、これをきっかけに小説のほうへシフトしていくことになりました。

「そろそろ真面目にマンガ原作者をやらないといかんなー」と思って、小池一夫先生の劇画村塾へ通っていたのもこの頃ですが、マンガの原作はシナリオ原作からコマを割ったネーム原作へ移行する過渡期に入っていたので、ライトノベルを書くしかなかったのですね。再就職した会社も辞めてしまったので。

*1:当時、とあるライトノベル作家さんのお弟子さんと聞いたのですが、真偽は不明です。まさかそのフレーズが、まったく関係ない文脈でネットの流行語になるとは思わなかったけど。