ゆずはら置き場/パノラマ観光公社

作家・ゆずはらとしゆきのお仕事報告ブログです。

『祀のアト』徒然(其の一)

しばらく、『祀のアト』つれづれ、という感じで、こちらのブログにも時折、しょうもない与太話を書いていこうかと。

いや、そうでもしないと、こちらで書くことがあまりない、というのがありまして。

 

何もかもが馬鹿馬鹿しくて徒労だったな、という気持ちが突き抜けた結果として、やりたいようにやってゆくかという投げやりなやる気が出てくる。

対外的に照らし合わせて徒労ではあっても、自分自身は正しいことをして素晴らしいものを作ったと確信しているから、何ら恥じること無く馬鹿馬鹿しさが突き抜けていくのだと思う。

もっとも、圧倒的に正しいと分かってしまったら、もう人の世では生きていくことはできない。それは涅槃の境地だから。 

kakuyomu.jp

で、何もかもが馬鹿馬鹿しくなったので、ちまちま書いているわけですが。

書いていると2007年以前の文学フリマで同人誌に参加していた頃を思い出すというか、商業的な顔色伺いを意識しないで書くと、まだこのくらいのものは書けるんだな、と感慨深いものが。

正直、「しょうもないことを言われるくらいなら、誰も読まないほうがまだマシか」という心境なので、見事なまでに誰も読まない小説ですが。

ただ、いちおう公の場に書くので、チラシの裏に書くよりは文章を整えようとする気は起きるし、通しでのコンセプトも考えてみようか、という気にもなる。

考えたところで何の役にも立ちはしないのですが、退屈しのぎで書くにはちょうどいい。

それ以上求めると、やっぱり場に最適化されたものをわざわざ書かなければならなくなるので、場違いに好き勝手に書いて飽きたら止めよう、くらいの感じでしばらく続きます。たぶん。

裏を返すと、このくらいのものは書けるのだと再確認すると同時に、場に最適化されたものをわざわざ書くことが苦痛というか、商業的な周波数とことごとくチューニングが合わない、という問題に突き当たるわけです。

この世でコミュニケーションを取るために必要な「フェティッシュな趣味性」が偏り過ぎていて、誰とも共有できないというか、自分が「正しい」「面白い」と思うものが圧倒的少数派で、マイナーですらない、ということが、『祀のアト』を書いているとよく分かるわけです。

まァ、『空想東京百景』でもギリギリ、マイナーに引っかかるかどうか、というレベルなんですけどね。

machikiji.jp

あと、諸事情でストップしているとはいえ、『町奇人』のように、才能ある他人の新しい企画には乗れるのですが、自分自身の新しい企画に乗れなくなっているので、飽きたら『空想東京百景』の続きに戻るか、それとも、根本的に自分が「正しい」「面白い」と思うものを信用せず、職人的に書いていくか、のどちらかになるんじゃないかな、と思っております。

『祀のアト』は、極端から極端へ転じるためのリハビリテーション、というか。

いや、そんなたいしたものでもないですが、今のゆずはらさんが場に出せる手札は他にないので、しばらく我慢してください。本当、すいませんね。